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緊急首脳会議を招集へ=ユーロ圏 [状況と変動]

ギリシア危機は、たいへんな事態です。とうなるのか?ヨーロッパ!

日本だけでなくて、世界中が溶解や崩壊の危機になっています。
2010年代は、危機が幾つも連鎖していくようです。
そうした中で、根本的な転換が準備されて行くのではないでしょうか。


緊急首脳会議を招集へ=ユーロ圏

時事通信 7月13日(水)5時30分配信

 【ブリュッセル時事】欧州連合(EU)のファンロンパイ大統領は12日、信用不安の拡大を食い止めることが喫緊の課題だとして、ユーロ圏諸国による緊急首脳会議を近く招集する方針を明らかにした。週末にも開く方向で調整している。
 ユーロ圏は11日の財務相会合で、ギリシャの秋以降の資金繰りを支える第2次支援策の一環として、民間銀行の協力を得ながら同国の債務負担を軽減する原則を確認。ギリシャ危機を制御することでイタリアやスペインに信用不安が波及するのを防ぐ考えを示したが、具体策では合意に至らず、失望が広がった。

詳しくは下記を見てください。

ギリシャから飛び火


 欧州の信用危機がギリシャから今度は、北の島国アイルランドに飛び火した。不動産バブルの崩壊で銀行に発生した巨額の不良債権に対する膨大な処理コストが政府の財政を圧迫、欧州連合(EU)・国際通貨基金(IMF)への緊急支援の要請に追い込まれた。第2幕の危機は既にスペインやポルトガルなどに波及しつつある。

(時事通信社外国経済部 田中健吾)

詳しくは下記を見てください。

http://www.jiji.com/jc/v4?id=ireland0001&rel=y&g=phl

 



小沢氏元秘書調書の一部、不採用が確定 検察の異議棄却(加筆1) [状況と変動]

私は、小沢一郎を支持し続けています。

小沢一郎.jpg

この人の顔は、様態としてはプラズマであって、様態論的には新しい政治家であると思います。
人格もあるし、《超次元》から《第6400次元》まである傑出した政治家であります。

小沢一郎復活を応援しています。
よくも悪くも、小沢一郎首相の実現を通過する事なくしては、日本の政治の再編に向けての決着はつかないのです。


小沢氏元秘書調書の一部、不採用が確定 検察の異議棄却
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は12日、衆院議員・石川知裕被告(38)ら元秘書の自白調書の一部を証拠採用しなかった地裁決定に対する東京地検の異議を棄却した。これ以上の不服申し立ての手段はなく、これらの証拠を排除して地裁が一審判決を言い渡すことが決まった。

 政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で公判中の石川議員ら3人の調書計38通を検察側が証拠請求したのに対し、地裁は6月30日の決定で11通を「任意性がない」として全部却下し、他の多くの調書も一部却下としていた。却下された調書には「小沢氏に虚偽記載を報告し、了承を得た」とする内容も含まれていた。【情報出典:朝日コムhttp://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201107120867.html

小沢氏元秘書の供述調書、一部不採用 陸山会事件公判
2011年7月1日3時2分印刷ソーシャルブックマーク
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は30日、衆院議員・石川知裕被告(38)と元秘書・池田光智被告(33)の捜査段階の自白調書の一部を証拠として採用しない決定をした。

 自白調書を立証の柱に据える検察側は、7月20日に読み上げる予定の論告内容の再検討を迫られる。公判は8月22日に弁護側の最終弁論があって結審し、秋にも判決が言い渡される。

 検察側が証拠請求していたのは、この2人が政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑を認めた内容を含む供述調書三十数通。無罪を主張する元秘書らの弁護側は、「調書は取り調べ検事の脅迫や誘導によってつくられた」と主張していた。

 関係者によると、証拠採用された元秘書の調書もあるが、一部または全部が不採用とされた中には、石川議員の調書が十数通あり、自白内容も含まれているとされる。池田元秘書の自白内容も含まれているという。自らの意思に基づいた供述ではなく、任意性がないと判断した可能性がある。

 元秘書らとは別に、検察審査会の議決を受けて強制起訴された小沢元代表の公判も秋以降に始まる。石川議員と池田元秘書の自白調書は、小沢氏を起訴した検察官役の指定弁護士も立証の柱と位置づける。判断する裁判官は異なるが、同様に元秘書らの供述調書の証拠能力が問われる局面が予想されている。
情報出典:http://www.asahi.com/special/ozawa_sikin/TKY201106300761.html

『アート × 建築 × 震災後』1〜8 彦坂尚嘉と大木裕之と五十嵐太郎鼎談 [状況と変動]

2011年6月25日 (土) 東京吉祥寺の Art Center Ongoingにて映像作家の大木裕之氏主催『うちんこ!』展での彦坂尚嘉氏と大木裕之氏と五十嵐太郎氏とのシンポジウム。テーマは『アート × 建築 × 震災後』。撮影:中川晋介

1 


2 五十嵐太郎の被災経験。


3 大木裕之が東大建築科の卒業制作でつくった「松前君シリーズ」。建築家 槇文彦にこれは建築ではないと否定されて話。大木裕之は総合的な事をやりたいという。1990年代くらいから、そして2000年だいから建築的なものが美術界で増えた。


4 昔の左翼とは全く違う今日の原発反対運動。さらに素人の乱、秋の乱などの話。原発労働者の支援の話。松前君シリーズの昭和天皇の崩御。五十嵐太郎の卒業設計である東京湾に原子力発電所。大木さんの菅直人映画。


5 五十嵐太郎の原発に対する思い。サブカルチャーの予言の実現を語る彦坂。NHKのドキュメンタリーによる日本に原発を建設するアメリカの謀略工作。


6 石上純也の建築の話。束芋のベニスビエンナーレ。ホイットニー美術館での20世紀美術の回顧展での原爆以後の変貌の話。1991年に村上隆とともに大木裕之、五十嵐太郎が出現した。


7 女川町でのビルの転倒をモニュメントとして残すべきだ。情報化社会での情報による汚染と、記憶の喪失、精神の破壊が問題。リテラシー革命が、問答無用に人を殺して行くという話。


8 若い人が、3.11以降にアートを制作出来なくなったという問題。



3.11以後のアーティスト [状況と変動]

吉祥寺のオンゴーイングでのシンポジウムの最後の部分です。
3.11以後に、若い作家達がアートをつくる意味を失っているという深刻な問題を討議しています。


放射能汚染地図/南相馬の仮設住宅 [状況と変動]

太田丈夫さんが、福島県の放射能汚染地図を送ってくださいました。

避難者住宅の建設地が、南相馬市なので、それを心配してです。
ありがとうございます。

20110619s.jpg

ホットスポットなぜ出現…気象と地形の複合要因


 福島県伊達市や南相馬市などで、局地的に高い放射線量が測定される「ホットスポット」が現れた理由について、日本原子力研究開発機構の永井晴康グループリーダーは「風向きや降雨量など気象的条件と、山の存在など地形的条件が重なった」と指摘する。


 福島第一原発から放射性物質の大量放出があった3月15日午後、北西方向に放射性物質の雲が広がっていたと見られ、「雲の通過と降雨が重なり、高線量の地域ができた」と話す。

 微粒子の大気拡散に詳しい群馬大の早川由紀夫教授(火山学)は4月上旬、民間による測定や国の公表データをまとめ、同原発から半径約300キロ・メートルの汚染地図を作成した。茨城県南部から千葉県、埼玉県、東京都の一部にかけ、周囲より放射線量の高い帯状の地帯が現れた。

 「一帯は海側から吹く風と、山から下りてくる風が関東平野上でぶつかり、雲を形成して雨を降らせる場所。都の水道水から放射性物質が検出されたのも、これで説明できる」と、早川教授はみる。

(2011年6月18日16時03分  読売新聞)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
みなさま


五十嵐太郎さんの研究室の設計で、
福島県南相馬市に被災者のための仮設住宅に付随する集合施設が建設されます。
その建築に描く壁画の制作が彦坂尚嘉に舞い込みました。

その仮設住宅が、杉材のログハウスであるので、
その杉材に絵を描くという話です。

南相馬市が福島原発から21キロくらいの所で、
放射線量も高いので、心配してくださる方もいます。

現地でガイガーカウンターで計測しないと分かりませんが、
公式発表ですと4倍から10倍程度あるように見えます。
下記はAさんからの心配メールです。

> 南相馬は危険だと思います。
> 勝手な言い方ですが、反対いたします。
> 人生は不確実で予測不可能ですが、危険を冒す必要性が
> 全く感じられません。
> 彦坂さんの芸術が被災地で役に立つとは思いません。
> 今回のプロジェクトはできるだけ屋外作業を少なくするか
> 現地入りを極力控えるよう対策を取られるよう希望致します。

原発事故という不測の事態に対して、避難するという退避行動は理性的なものです。

同時に、危険があっても、必要な仕事を、危険を顧みずに行うというもの、
男の子としては、重要な事なのです。

避難する時には避難して、危険の中に入る必要の時には入るのです。

伝統的な勇者というのは、危険な場所に行って戦って、無事に帰ってくる者の事です。

私自身は、この杉のログハウスのサンプルを見ましたが、美しいものでした。
自分自身の美術家の仕事として、魅力を感じます。

放射線量の高い所に避難者住宅を造る事は、愚かであると思いますが、
これもまた日本的な愚かさです。
しかし五十嵐太郎さんの建築企画も「記憶に残る仮設住宅」というもので、
思想的に共感出来るものです。

なんとか、実現したく思います。

彦坂尚嘉
  






絶望社会/フォイエルバッハへの回帰(改題1) [状況と変動]

>やさしさ
に共感します。 
by 
moo (2011-06-19 01:30) 



moo様

コメントありがとうございます。

「やさしさ」というのは、社会主義や共産主義の問題、いわゆる左翼の問題であると、思います。と、書き出しましたが、だれも読みたくないような記事になりそうで、あいかわらずですが、自分で困っています。

他人に対してやさしくなろうとするというか、貧乏な人や、苦しんでいる人に同情するような態度が、昔の左翼でありました。もともとである空想社会主義のひとびと、特にサンシモンは、私は高く評価します。顔を見ても《超次元》から《第6400次元》まである重要な人物です。

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空想社会主義者 サン・シモン
《超次元》〜《第6400次元》まである偉大な人物

つまり空想社会主義者達は評価しますが、私自身は、昔の左翼、つまりマルクスやエンゲルスの科学的社会主義者は失敗したと思います。

今の情報化社会の自称左翼のような活動をしている人も、正直言って、どうしようとしているのかが、よく分かっていません。

さて、話を科学的社会主義の失敗についてします。《近代》という時代を特徴づけた一面は、共産主義です。これが何故に理想の社会建設にならなくて、実際には多くの人を虐殺して行くものになってしまったのか、その失敗の原因をそれなりに考えておかなければならないと思うのです。
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スターリン
《第1次元 社会的理性領域》から
《第50次元》の人物


人間の社会というのは、けっこうむずかしいもので、今の日本社会には、菅直人のような《第6次元 自然領域》の人が権力を握る例が多くて、その結果が、社会的にはかならずしも「やさしさ」に結びついてはいません。 

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菅直人首相
《第6次元 自然領域》の単層人格



福島県の放射能被爆にしても、多くの若い女性が被爆して放置されていますが、その女性の体内には卵子があるわけです。女性の体内の卵子は、後から作るわけではなくて、最初から卵子は全てあるので、この一人の女性の卵子が全てが、今回の福島原発の事故で、被爆してしまった人が多く入るのです。ですから、その女性の将来の妊娠や出産は、奇形児等の事故の確率が非常に高くになっています。

こういう若い女性や幼児、子供は、早くに退避させなければならなかったのですが、菅直人首相の人格は、彦坂尚嘉の言語判定法の性格分析では《第6次元 自然領域》であって、単層の人格なので、このような将来の悲劇を予知して対処する能力を持っていないのです。

wikiによれば、菅直人は、東京工業大学に入学。在学中は学生運動にのめり込んでいたそうです。全共闘や民青からは一線を画した「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活躍したというのです。同じくwikiからの孫引きですが、週刊新潮』の「菅直人の研究」によれば、東工大の同級生は「大学の自治会に、中核派が入り込んでいたんですが彼は“イデオロギーでは何もかわらない。現実的な対応をしなければ”と、よく中核派に食って掛かっていたということです。それは「全学改革推進会議」なるものを立ち上げて、15人くらいを率いて極左系とは違う学生運動を行っていたというのです。

イデオロギーでは何もかわらない」というのは一理あると思いますが、では菅直人的な意味での現実的な対応というのは、具体的に現実を変えるものとして評価できるものであるのでしょうか。

現実を変える事ができるとも、できないとも言えるのですが、今回の福島原発事故をめぐって見えて来た日本社会の構造そのものは、彦坂尚嘉にとっては絶望的なものであって、日本社会の本質的な構造そのものを変える事はできないと、考えるに至ったものです。

貧しい日本の現実を変えるものとして原子力の平和利用という選択はあったし、人間は理性的で聡明であるから原子力をコントロールできて、事故は絶対に起きないと信じたのです。つまり原子力発電というもの事態が、人間の聡明さと理性性への妄信が造り出したものでした。そして取り返しのつかない大事故として福島原発事故は出現した。それは人間の理性性や知性そのものへの深い懐疑に至るものです。

20110318mog00m040021000p_size5福島原発上空写真.jpg



変える事はできないけれども、社会そのものは不動なものではなくて、変化し続けていて、しかも盲目的で集合無意識的な運動をし続けるもののように見えました。

それは昆虫のうごめきのようなもので、ほぼ自然のようなものです。しかしそれは無意識を大量に含んだ自然であって、分かりやすく言えば精神病の集団のような動きです。つまり理性的な動きではなくて、非合理的で愚かで、遅い運動です。

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彦坂理論で、問題を単純化して語れば、日本社会は、《第6次元 自然領域》の単層の人々と、《第1次元 社会的理性領域》から《第6次元 自然領域》までの複層の2種類の人々で構成されています。その特徴は《超次元》性をもつ小沢一郎のような人物を排除する事で成立する社会なのです。

しかも《第6次元 自然領域》の単層の人々には人格は無く、そして《第1次元 社会的理性領域》をもつ複層の人々にも人格はないのです。日本社会は人格無き社会であって、それは昆虫のような自動機械の社会であるのです。であるから外交もできないという特徴があります。


それは自分自身に対する批判としても言えるものであって、自分が理性的で聡明であると見えるわけではなくて、自分自身を含めて人間とか日本社会とかが、どうしようもなく愚かで、昆虫的なものであると見えるものなのです。

このように理性性や聡明さを欠いた動物的で狂人的なものとして人間や社会が見えるという事、しかもそれが脱出不可能なものとして思えるという絶望性こそが、この情報化社会特有の現象であると考えます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

《近代》という時代は、人間が理性や知性を使って、聡明になれると信じられた時代でした。その代表がマルクスの共産主義の運動でした。

マルクスの顔を画像で見て、彦坂尚嘉の言語判定法で分析すると《第1次元 社会的理性領域》から《第50次元》まであるものです。

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マルクス

《第1次元 社会的理性領域》から《50次元》までの
複層的性格の人。ただし人格は無い。

彦坂尚嘉のこの言語判定法という方法では、マルクスに人格は無いと出ます。

人格がある人間と、人格の無い人間の2種類がいるのですが、マルクスにはありません。

かなり常識はずれの指摘ですので、怒る人はいても、賛同してくれる人はいないでしょう。

マルクスの思想はフォイエルバッハにおっていますが、このフォイエルバッハの顔は、《超次元》から《第6400次元》まであって、哲学者として読むに値するすぐれたものだと言えます。というわけで、今しがた本を注文しました。石塚正英・河上睦子・柴田隆行編『神の再読・自然の再読:いまなぜフォイエルバッハか』理想社、1995年。

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フォイエルバッハ

《超次元》から《第6400次元》までの人格の有る偉大な哲学者




共産主義が何であったのかというのは、色々な議論があると思いますが、その一面はマルクスという人物そのものが、《第1次元 社会的理性領域》〜《第50次元》までの哲学者であった事にあると、彦坂的には考えます。

つまり《第1次元 社会的理性領域》から《50次元》までの哲学者というのは、哲学者としては不十分な性格であって、その為に、人間の暗い面を切り捨てるためにロボトミーの研究を肯定的に考える思想に至りつくような性格をもつ思想的立場でした。このようなロボトミー肯定の主張はトロツキーの著作に見られます。

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トロツキー

《第1次元 社会的理性領域》から《50次元》までの
人格の無い人物。

ソヴィエト共産主義政権が、スターリンという人類史上最悪の独裁者に至りついたのは、マルクスという人格と同一の構造であったからです。

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スターリン

《第1次元 社会的理性領域》から《50次元》までの
人格の無い人物。

スターリンもまた《第1次元 社会的理性領域》〜《第50次元》までの人物であって、マルクスと同じように、人間的な深みに欠ける性格であったのです。

スターリンは大量虐殺を繰り返したのです。それは人間を虫のように殺すという面で、ナチズムに似ていました。ナチズムもまた国家社会主義であって、社会主義というものの中に有る《第1次元 社会的理性領域》の暴走性は、非常に危険なものでした。

近代日本社会というのは、ナチズムと同様の国家社会主義社会であって、全体主義社会なのでした。それは敗戦後も変わらずに、ネガティブな国家神道は生き続けてきたと彦坂尚嘉は考えます。つまり戦後もまた大政翼賛会のシステムはネガティブに見えない姿にかわったにしろ、作動し続けて来たのです。それが今回の福島原発事故に結果したと、私には思えます。

つまり彦坂尚嘉的に思考すると、《第1次元 社会的理性領域》〜《第50次元》までの人物というのは、人間として浅薄で、危険であるということです。彼らは、大量虐殺を繰り返し、そしてまた原発を推進するのです。

しかしそういう人物達こそが、人間の社会と政治と経済の中枢を形成し、盲目的に社会を良い方向に変えようと運動しているのです。その結果が愚かなまでに悲惨であっても、私たちはそれを回避出来ない様に見えます。

《第1次元 社会的理性領域》というものは、実は異質なものを抑圧し、排除し、殺すという、非常に危険な面を持っているのです。寛容性に欠けるのですが、しかしその社会的理性性抜きで、現実の社会を形成出来ない事も事実です。

社会はしかし、《超次元》から《第6400次元》までもつ《超一流》の人物を排除すると、社会集団そのものが新興宗教のようなカルト化して、そして集団自殺にのめり込んで行くのです。

それが日本では、東条英機や菅直人といったような《第6次元 自然領域》の無能な人物をトップに据える形で、一種の集団自殺にのめり込んで行ったのです。

「やさしさ」というものは、この社会主義的な大量虐殺を反転させたものです。殺さないで、共存して行く。共存できない人々と共存する方法が「やさしさ」であると言えます。お互いの違いを認め、分かり合えない人々とも、適切な距離をもって生きていく。「やさしさ」というのは、同質性を求めるのではなくて、互いの異質性を認めて、各自自立して生きる道です。ですから「やさしさ」の裏側には諦めがあります。


情報革命とその結果としての高度情報化社会の出現は、社会そのものを大きく変貌させ得るだろうと、私は思います。権力の根底には暴力があって、オバマがビンラディンを殺したように、殺すという方法や軍事行動を抜きにしては国際関係を形成出来ないということは事実なのですが、このような暴力性を抑制して行く事が重要なのです。それがサントームです。

そうするとどうなるのか?
年間5000人近い自動車事故の死者が出続けているとか、3万人を越す自殺者がでるとか、今後福島原発の放射能によって100〜140万人くらいに達するかもしれない死者がでるとかいう、大量の犠牲者の出現する社会が未来の社会なのです。つまり大量殺戮は無いのですが、大量の犠牲者が出現し続ける社会になるのです。

社会を形成して行く中で、犠牲者というものが出るという事です。このことをなくす事ができない。犠牲者抜きには、社会が形成出来ないのです。大量虐殺を中止しても、大量犠牲者は出続けるという事な避け得ないのです。この冷酷な認識の中でサントームの精神としての「やさしさ」が作動するのです。

放射能による静かな100万人規模の大量の犠牲者が出続ける社会の根底には、絶望が広がります。絶望社会こそが、日本の未来なのです。その中で確信をもって生き抜く事が重要であるという認識が、サントームの精神です。

《第6次元 自然領域》の人々が権力を握って作動する社会の中では、犠牲者は生まれ続けるのです。その絶望社会の中を、確信をもって生き抜くことは、ある意味で、自然がもっている自然淘汰のシステムを認める事です。

地球の歴史の中では5回の大絶滅があったと科学者は言います。絶滅そのものは、地球史の中では珍しい事ではありません。日本人が絶滅に向かったとしても、それは珍しい事ではなくて、普通のことです。そのことを認める事です。必要以上に嘆く事は無くて、そのような大量死を歴史的必然として、事実を事実として認める事が重要なのです。そういう覚悟の中で「やさしさ」が生まれます。

菅直人という《第6次元 自然領域》の権力者とか、原発推進派の《第6次元 自然領域》の人々とか、このような人々は権力を握る事で、犠牲者を大量に出し、事態を悪化させるのですが、この事自体を止める事も出来ないとすれば、そのことを「やさしく」受動的に、事実として認める事です。社会が絶望を基底に抱える事は、今後避け得ないのです。

もともとブッタ(仏様)が認識したように、人間の存在の根底には老病死の絶望が存在するのです。この苦痛から解脱する修行の過程が人生です。絶望社会の到来というものを、私たちは認めて、これをまず、受け入れる必要があるのです。

菅首相の究極の延命策は原発解散&総選挙 [状況と変動]






松永様

On 2011/06/19, at 10:02, matsunaga wrote:
>
> 「今月2日の退陣表明から2週間経過しても、全く辞任する気配 
> がない菅直人首相が、「原発推進か、脱原発か」を争点にした衆 
> 院解散・総選挙を考えているとの見方が広がっている。」(日刊 
> スポーツ、2011年6月18日8時6分)
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20110618-791964.html
>
> 「再生可能エネルギー促進法」のこともマスメディアはあまり取 
> り上げていません。
> 上記の書き方を見ても、まだどこかで原発のうまみが捨てきれて 
> ないように思えます。
>

上記記事拝読しました。
菅直人のバカさは、たしかに謀略力ではピカイチでおもしろいですね。
再生可能エネルギーそのものは、決定打は出ていないので、もっと大きな改革を目指さないと、答えにはならないものです。
私見を申し上げれば、《近代》を完全に終わらせて、新しい中世へと転換して行く事でしょう。しかしこの転換自体に、かなり長いプロセスが必要です。300年くらいのレベルでの未来構造を考えなければ、語り得ない事です。
しかし菅直人の頭は昆虫レベルですから、目先しか見えない。そのおおもしろさは、昆虫観察的なおもしろさとしてあるでしょう。それを私たちは楽しめば良いのではないでしょうか。
100年、200年、福島原発を解決する方法は無いので、
当面、政局は混乱するしかないでしょう。

私の好みで無責任に言えば、この解散選挙をやってほしいですね。原発継続であるにしろ、脱原発であるにしろ、選挙で、日本人自身の責任で、逃げ様の無い自己責任で選択をする事は重要であると思います。
彦坂尚嘉
 




菅首相の究極の延命策は原発解散&総選挙


 今月2日の退陣表明から2週間経過しても、全く辞任する気配がない菅直人首相が、「原発推進か、脱原発か」を争点にした衆院解散・総選挙を考えているとの見方が広がっている。

 「原発解散」が浮上したのは、菅首相が15日、再生可能エネルギー促進法の成立に強い意欲をみせたのがきっかけ。ソフトバンク孫正義社長ら350人の出席者から、全面支持を取り付け、喜色満面。「本当に私の顔を見たくないのか!」「それならこの法案を早く通した方がいい」と、興奮状態で「反菅勢力」を挑発した。普段は批判ばかり受け、仏頂面が多い首相の高揚感を見た民主党議員からは「原発事故で、世論でも脱原発への支持が広がっている。有権者の支持が見込める『最強カード』と思ったのかもしれない」との声が出た。言い換えれば「究極の延命策」(野党関係者)というわけだ。

 1テーマの解散・総選挙といえば、小泉純一郎元首相が05年に、郵政民営化の是非を国民に問い、自民党圧勝に導いた。政治家としての持論を貫くため、解散に踏み切った小泉氏が念頭にあるのかは不明だが、首相は16日のブログで「自然エネルギー問題は、初当選した約30年前からのテーマ」と記し、思い入れの強さをにじませている。

 「エネルギー政策と郵政民営化は、重みも違う」(関係者)と、慎重意見は根強いが、野党ベテラン議員は「菅さんは戦略力はなくても、謀略力はピカイチだ。可能性はゼロではない」と指摘した。内閣不信任決議案の採決前、「可決なら解散」の情報が流されたことも、首相の出方を警戒する一因になっている。

 菅首相は17日の参院復興特別委員会でも、「どんどん言い訳をつくり、退陣を先延ばししている。総理中毒症状だ」(松田公太議員)と、居座りを批判された。解散権は首相の伝家の宝刀だが、「目的」が有権者に見透かされれば、支持を得るのは難しい。

 [2011年6月18日8時6分 紙面から]

情報出典:NIKKANNSPORTS.com

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20110618-791964.html


日本社会の未来を生き抜く [状況と変動]

>やさしさ
に共感します。 
by 
moo (2011-06-19 01:30) 



moo様

コメントありがとうございます。

「やさしさ」というのは、社会主義や共産主義の問題、いわゆる左翼の問題であると、思います。と、書き出しましたが、だれも読みたくないような記事になります。

他人に対してやさしくなろうとするというか、貧乏な人や、苦しんでいる人に同情するような態度が、昔の左翼でありました。

私自身は、昔の左翼は失敗したと思いますが、今の左翼のような活動をしている人も、正直言って、どうしようとしているのかが、よく分かっていません。

《近代》という時代を特徴づけた一面は、共産主義です。これが何故に理想の社会建設にならなくて、実際には多くの人を虐殺して行くものになってしまったのか、その失敗の原因をそれなりに考えておかなければならないと思うのです。

人間の社会というのは、けっこうむずかしいもので、今の日本社会には、菅直人のような《第6次元 自然領域》の人が権力を握る例が多くて、その結果が、社会的にはかならずしも「やさしさ」に結びついてはいません。

福島県の放射能被爆にしても、多くの若い女性が被爆して放置されていますが、その女性の体内には卵子があるわけです。女性の体内の卵子は、後から作るわけではなくて、最初から卵子は全てあるので、この一人の女性の卵子が全てが、今回の福島原発の事故で、被爆してしまった人が多く入るのです。ですから、その女性の将来の妊娠や出産は、奇形児等の事故の確率が非常に高くになっています。

こういう若い女性や幼児、子供は、早くに退避させなければならなかったのですが、菅直人首相の人格は、彦坂尚嘉の言語判定法の性格分析では《第6次元 自然領域》であって、単層の人格なので、このような将来の悲劇を予知して対処する能力を持っていないのです。

wikiによれば、菅直人は、東京工業大学に入学。在学中は学生運動にのめり込んでいたそうです。全共闘や民青からは一線を画した「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活躍したというのです。同じくwikiからの孫引きですが、週刊新潮』の「菅直人の研究」によれば、東工大の同級生は「大学の自治会に、中核派が入り込んでいたんですが彼は“イデオロギーでは何もかわらない。現実的な対応をしなければ”と、よく中核派に食って掛かっていたということです。それは「全学改革推進会議」なるものを立ち上げて、15人くらいを率いて極左系とは違う学生運動を行っていたというのです。

イデオロギーでは何もかわらない」というのは一理あると思いますが、では菅直人的な意味での現実的な対応というのは、具体的に現実を変えるものとして評価できるものであるのでしょうか。

現実を変える事ができるとも、できないとも言えるのですが、今回の福島原発事故をめぐって見えて来た日本社会の構造そのものは、彦坂尚嘉にとっては絶望的なものであって、日本社会の本質的な構造そのものを変える事はできないと、考えるに至ったものです。

貧しい日本の現実を変えるものとして原子力の平和利用という選択はあったし、人間は理性的で聡明であるから原子力をコントロールできて、事故は絶対に起きないと信じたのです。つまり原子力発電というもの事態が、人間の聡明さと理性性への妄信が造り出したものでした。そして取り返しのつかない大事故として福島原発事故は出現した。それは人間の理性性や知性そのものへの深い懐疑に至るものです。

変える事はできないけれども、社会そのものは不動なものではなくて、変化し続けていて、しかも盲目的で集合無意識的な運動をし続けるもののように見えました。

それは昆虫のうごめきのようなもので、ほぼ自然のようなものです。しかしそれは無意識を大量に含んだ自然であって、分かりやすく言えば精神病の集団のような動きです。つまり理性的な動きではなくて、非合理的で愚かで、遅い運動です。

それは自分自身に対する批判としても言えるものであって、自分が理性的で聡明であると見えるわけではなくて、自分自身を含めて人間とか社会とかが、どうしようもなく愚かで、昆虫的なものであると見えるものなのです。

このように理性性や聡明さを欠いた動物的で狂人的なものとして人間や社会が見えるという事、しかもそれが脱出不可能なものとして思えるという絶望性こそが、この情報化社会特有の現象であると考えます。

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《近代》という時代は、人間が理性や知性を使って、聡明になれると信じられた時代でした。その代表がマルクスの共産主義の運動でした。

マルクスの顔を画像で見て、彦坂尚嘉の言語判定法で分析すると《第1次元 社会的理性領域》から《第50次元》まであるものです。

彦坂尚嘉のこの言語判定法という方法では、マルクスに人格は無いと出ます。

人格がある人間と、人格の無い人間の2種類がいるのですが、マルクスにはありません。

かなり常識はずれの指摘ですので、怒る人はいても、賛同してくれる人はいないでしょう。

マルクスの思想はフォイエルバッハにおっていますが、このフォイエルバッハの顔は、《超次元》から《第6400次元》まであって、哲学者として読むに値するすぐれたものだと言えます。というわけで、今しがた本を注文しました。石塚正英・河上睦子・柴田隆行編『神の再読・自然の再読:いまなぜフォイエルバッハか』理想社、1995年。


共産主義が何であったのかというのは、色々な議論があると思いますが、その一面はマルクスという人物そのものが、《第1次元 社会的理性領域》〜《第50次元》までの哲学者であった事にあると、彦坂的には考えます。

つまり《第1次元 社会的理性領域》から《50次元》までの哲学者というのは、哲学者としては不十分な性格であって、その為に、人間の暗い面を切り捨てるためにロボトミーの研究を肯定的に考える思想に至りつくような性格をもつ思想的立場でした。このようなロボトミー肯定の主張はトロツキーの著作に見られます。

ソヴィエト共産主義政権が、スターリンという人類史上最悪の独裁者に至りついたのは、マルクスという人格と同一の構造であったからです。

スターリンもまた《第1次元 社会的理性領域》〜《第50次元》までの人物であって、マルクスと同じように、人間的な深みに欠ける性格であったのです。

スターリンは大量虐殺を繰り返したのです。それは人間を虫のように殺すという面で、ナチズムに似ていました。ナチズムもまた国家社会主義であって、社会主義というものの中に有る《第1次元 社会的理性領域》の暴走性は、非常に危険なものでした。

近代日本社会というのは、ナチズムと同様の国家社会主義社会であって、全体主義社会なのでした。それは敗戦後も変わらずに、ネガティブな国家神道は生き続けてきたと彦坂尚嘉は考えます。つまり戦後もまた大政翼賛会のシステムはネガティブに見えない姿にかわったにしろ作動し続けて来たのです。それが今回の福島原発事故に結果したと、私には思えます。

つまり彦坂尚嘉的に思考すると、《第1次元 社会的理性領域》〜《第50次元》までの人物というのは、人間として浅薄で、危険であるということです。彼らは、大量虐殺を繰り返し、そしてまた原発を推進するのです。

しかしそういう人物達こそが、人間の社会と政治と経済の中枢を形成し、盲目的に社会を良い方向に変えようと運動しているのです。その結果が愚かなまでに悲惨であっても、私たちはそれを回避出来ない様に見えます。

《第1次元 社会的理性領域》というものは、実は異質なものを抑圧し、排除し、殺すという、非常に危険な面を持っているのです。寛容性に欠けるのですが、しかしその社会的理性性抜きで、現実の社会を形成出来ない事も事実です。

社会はしかし、《超次元》から《第6400次元》までもつ《超一流》の人物を排除すると、社会集団そのものが新興宗教のようなカルト化して、そして集団自殺にのめり込んで行くのです。

それが日本では、東条英機や菅直人といったような《第6次元 自然領域》の無能な人物をトップに据える形で、一種の集団自殺にのめり込んで行ったのです。

「やさしさ」というものは、この社会主義的な大量虐殺を反転させたものです。殺さないで、共存して行く。共存できない人々と共存する方法が「やさしさ」であると言えます。お互いの違いを認め、分かり合えない人々とも、適切な距離をもって生きていく。「やさしさ」というのは、同質性を求めるのではなくて、互いの異質性を認めて、各自自立して生きる道です。ですから「やさしさ」の裏側には諦めがあります。


情報革命とその結果としての高度情報化社会の出現は、社会そのものを大きく変貌させ得るだろうと、私は思います。権力の根底には暴力があって、オバマがビンラディンを殺したように、殺すという方法や軍事行動を抜きにしては国際関係を形成出来ないということは事実なのですが、このような暴力性を抑制して行く事が重要なのです。それがサントームです。

そうするとどうなるのか?
年間5000人近い自動車事故の死者が出続けているとか、3万人を越す自殺者がでるとか、今後福島原発の放射能によって100〜140万人くらいに達するかもしれない死者がでるとかいう、大量の犠牲者の出現する社会が未来の社会なのです。つまり大量殺戮は無いのですが、大量の犠牲者が出現し続ける社会になるのです。

社会を形成して行く中で、犠牲者というものがでるという事です。このことをなくす事ができない。犠牲者抜きには、社会が形成出来ないのです。大量虐殺を中止しても、大量犠牲者は出続けるという事な避け得ないのです。この冷酷な認識の中でサントームの精神としての「やさしさ」が作動するのです。

放射能による静かな大量の犠牲者が出続ける社会の根底には、絶望が広がります。絶望社会こそが、日本の未来なのです。その中で確信をもって生き抜く事が重要であるという認識が、サントームの精神です。

《第6次元 自然領域》の人々が権力を握って作動する社会の中では、犠牲者は生まれ続けるのです。その絶望社会の中を、確信をもって生き抜くことは、有る意味で、自然がもっている自然淘汰のシステムを認める事です。

地球の歴史の中では5回の大絶滅があったと科学者は言います。絶滅そのものは、地球史の中では珍しい事ではありません。日本人が絶滅に向かったとしても、それは珍しい事ではなくて、普通のことです。そのことを認める事です。必要以上に嘆く事は無くて、そのような大量死を歴史的必然として、事実を事実として認める事が重要なのです。そういう覚悟の中で「やさしさ」が生まれます。

菅直人という《第6次元 自然領域》の権力者とか、原発推進派の《第6次元 自然領域》の人々とか、このような人々は権力を握る事で、犠牲者を大量に出し、事態を悪化させるのですが、この事自体を止める事も出来ないとすれば、そのことを「やさしく」受動的に、事実として認める事です。社会が絶望を基底に抱える事は、今後避け得ないのです。

もともとブッタ(仏様)が認識したように、人間の存在の根底には老病死の絶望が存在するのです。この苦痛から解脱する修行の過程が人生です。絶望社会の到来というのは、ある意味で、仏教的な修行行為が必要な社会なのです。

私たちは、絶望を、笑いながら明るく生きなければなりません。

京都とガイガー・カウンター [状況と変動]

    ガイガー・カウンターを持っている友人が2人いるので、
1人を車に乗せて、東京から京都まで走ってみました。
つきあってくださったのはアートスタディーズ事務局長の太田丈夫さん 
(57歳)です。





もちろんガイガー・カウンターの精度に対する疑いもあるので、
複数の数字が必要ですし、測定の日時や場所も大きく影響するので、
これはあくまでも目安です。

ガイガーカウンタの機種はTERRA-Pでウクライナ製です。
ウクライナというのは、チェルノブイリのある国です。

池袋で、0.13〜0.15マイクロシーベルト/毎時くらい 
でした。



市川定夫の『環境学』によると、宇宙から年間300マイクロ 
シーベルト、地中から同じく年間300マイクロシーベルト、合 
計年間600マイクロシーベルトの被曝を、自然放射能としてう 
けています。これを毎時に直すと約0.069マイクロシーベルト/毎時の被曝をうけ 
ていることになります。(情報出典:
http://ja.wikipedia.org/ wiki/自然放射線)

つまり池袋で、0.13〜0.15マイクロシーベルト/毎時 
というのは、自然放射能の2倍であるということです。
たいしたことはないとも、言えます。

つまりこれで計算すると年間に約0.6ミリシーベルトの被曝が 
福島原発事故での被曝量と、現在の段階では予想されるということです。
3月15日の爆発での関東の被曝量が多かったので、1年の積算量 
は、ICRP勧告(1990年)による1ミリシーベルト/年 
間までという安全の目安は、たぶん少しですが超えてしまうでしょ 
うが、現在の放射線量そのものは、ICRP勧告の国際基準内に 
入っています。

それが車で走ると、東名のどこでもだいたい0.10マイクロ 
シーベルト/毎時くらいでした。
自然放射線が0.07あるので、福島放射能は0.03マイク 
ロシーベルト/毎時であるということです。



福島からの距離が広がっても、放射線量は減少の傾向をまったく見 
えませんでした。
京都に入ると、0.09〜0.15マイクロシーベルト/毎時 
くらいでした。

結論で言うと、いろいろの濃淡はあるでしょうが、
基本は日本のほぼ全部がほぼ均等に汚染されているように感じました。
これはあくまでも彦坂尚嘉の感想です。

広瀬隆さんは著書『危険な話』(198年 )の中で、5 
日で日本中が汚染されると書いていましたが、
ほぼ的中している事態のように思えました。

この数字は「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の20km 
以遠のモニタリング結果について」という結果で見ると、
一番数値の高い相馬郡飯舘村が15.8マイクロシーベルト/毎 
時ですから、100倍です。ですから20km以遠よりは、京 
都の方が放射線量は低いのですが、しかし想像よりもずっと高く 
て、いわき市小川町高萩(36km南南西)の0.10マイク 
ロシーベルト/毎時とほぼ同じなのです。

 

文部科学省発表値の約3倍くらいです。
  情報出典:環境放射能水準調査結果(都道府県別)[平成23年 
6月12日(日曜日)14時00分版]
  
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/12/1307020_06 
1214.pdf
  
すでに多くの指摘がありますが文科省発表値は、上空の数値測定で 
低くなっているのです。
地上1メートルくらいですと、私や太田丈夫さんの感覚ではその3 
倍くらいの数値になっているという感じでした。

さて現在も、放射能は福島原発から流出し続けています。
つまり放射能はしだいに濃度を上げて蓄積を続けています。

こういう均等に汚染されている状態で、しかも積算値が1ミリシー 
ベルト/年間を超える可能性があるか、あるいは近づいている状態 
であると、それなりに放射能対策をとっている人と、とっていない 
人ですと、被曝量に差が出る可能性があります。無頓着な人は、知 
らないうちに被曝が増えるかもしれません。

そういう事ですと、関東よりも、関西の方が自覚や危機意識が低い 
ので、危険性も高いとも言えるものです。



海外のメディアの中では日本の死者がチェルノブイリからの類推か 
ら100万人から140万人と予想しているものもあります.
   出典:バズビー教授
http://www.youtube.com/watch? 
v=5PFRQ4jDUE4&feature=youtu.be

被曝による癌などの死者は、5年10年の中で、ばらばらに個人差 
の中で起きるので、具体的な大量死としては見えないので、分かり 
にくい形で進行して行きます。国際基準値のラインにはいっている 
ので、あまり神経質になる事はありませんが、最低限の心遣いをし 
た方が長生きできる可能性があります。

どちらにしろ日本の人口の減少は加速して行くでしょう。予想とし 
ては原発事故で20パーセントくらいの減少が起き得るかもしれま 
せん。チェルノブイリ10年後から20年後に、日本の人口が80 
00万人を切るという事態があり得るという風に思います。私は日 
本の人口グラフの作品を東京画廊での個展などで作っているので、 
特に敏感に思うのです。あくまでも私見ですが、無根拠のデマとい 
うものでもありません。

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