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『官邸「数日で終わる」』 [状況と変動]

今朝の毎日新聞の見出しは『官邸「数日で終わる」』というもので、福島原発事故を、日本の政府が軽く見ていた事の顛末のドキュメント記事が長文の大特集で掲載されています。

日本政府が、原発事故のシュミレーションを事前にやって準備をしていなかった様がよく理解出来ます。チェルノブイリやスリーマイルの原発事故を、自分自身の問題として良く学習していないという不勉強な駄目さが今日の事態を生んでいます。

最近の週刊誌では、食料からの体内被爆の危険性を指摘する記事が多くなっていて、危険が深刻になっている事がわかります。海外の一つの見方では日本の死者数は100万人を超えるだろうという予想も出ていて、それを風評として笑う事は簡単ですが、実際の癌なりでの死は一人一人の死として出現してくるものであって、その過程も実はチェルノブイリやスリーマイルの原発事故の過程を見れば学習出来るものです。結局は140万人以上の死者が出ると覚悟を決めて生きる方が良いのだろうと私は思います。

久しぶりに東京の画廊を2軒見ましたが、作品が気のせいか暗くて、《第8次元 信仰領域》の作品で、死を扱っているものばかりでした。たまたまかもしれませんが福島原発事故の長期化で、日本の現代アートも否応も無く変貌するでしょう。つまり美術の問題でもあるのです。

中年のアーティストと話しましたが、数年で終わると思っているようで、この楽観性にも驚きました。私は何も言えませんでした。この事故そのものは収束する決定的な方法は無くなっているので、非常に長期化するのです。100年を超えても終わっていないと考えていた方が良いと思います。私は、福島の処理で膨大な費用の流出が続いて、東日本国と、西日本国に分裂する未来の日本までシュミレーションをして予想しています。ローマ帝国が東と西に分裂したという過去の事実をふまえての良そうです。

非常に暗い事態ですが、これを一つのプラスの事態ととらえて、積極的に生きる必要があると思います。
少しでも食料に気をつけて、サバイバル戦を楽しむ事です。戦場というのは、実は明るいものです。絶望的な状況だからこそ《確信》をもって生きる必要があります。



管首相の勝利 [状況と変動]

今回の内閣不信任決議案をめぐる攻防は、管首相の勝ちに終わりました。手法としては、退陣の期限を言わないところにポイントがあって、その場限りの嘘で切り抜けたわけですが、見事でありました。


このようなことは、将棋の詰めの場面でよく見られるものです。つまり今回は、詰め損なったのです。管という人の単純さの強さを改めて見て面白かったです。


どちらにしろ福島原発事故を収束させる本質的な方法があるわけではないので、首相を今の段階で代えても、決定的に良い方向に行くわけではありません。もう一段階破綻は来ると思いますので、最後まで管首相で行ってもらう方が責任が明確で良いと私は思います。


小沢というよりは鳩山が、相変わらず馬鹿であることでの茶番劇でした。この失敗で小沢が終わったという見解は、理解は出来ますが、まだ分からないと思います。政治というのは、最後の最後まで分かりません。どちらにしろ小沢は裁判を終わらせないと、結論は出ません。





小沢氏激怒、菅・鳩山会談の詳細知らされず

読売新聞 6月2日(木)21時45分配信

小沢氏激怒、菅・鳩山会談の詳細知らされず
拡大写真
六本木のカラオケ店でグループ議員らを慰労した小沢氏(2日午後8時54分、東京・港区で)=伊藤紘二撮影
 2日の内閣不信任決議案の採決直前に、菅首相が退陣を示唆したことで、民主党の小沢一郎元代表が描いた不信任案可決のシナリオは大きく狂った。

 党執行部は小沢元代表の追加処分を検討している。さらに元代表は「政治とカネ」をめぐる裁判も抱えており、「反小沢」側からは、今回の大差の否決によって、元代表の求心力低下は決定的になったとの指摘も出ている。

 小沢グループは70人以上が造反の意向を固めていたが、結局、造反を明言してきた側近の松木謙公前農林水産政務官が賛成票を投じた以外は、小沢元代表ら計15人が欠席・棄権するにとどまった。

 2日朝、東京都内のホテルの一室。造反を決意した民主党衆院議員50人以上が続々と集結し、前日夜の会合に70人を集めたことで、「もう不信任案可決は決まったも同然」との高揚感が漂った。内山晃衆院議員は記者団に「140票は取りたい。そうすれば、自民、公明両党の数より我々の方が増える」とまで公言した。

 だが、首相と鳩山前首相が2日午前に会談し、首相が同日昼の民主党代議士会で退陣を示唆すると、雰囲気は一変した。

 両氏の会談の詳細を知らされていなかった元代表は激怒した。造反を決意していた議員ははしごを外された格好となり、「具体的な辞任時期を示していない。これは造反組に対する分断作戦だ」「訳が分からない。“世紀の談合”だ」と怒りをあらわにした。

 元代表は急きょ、国会内の自室に側近らを集め、「退陣の言及にまで追い込んだのは一つの成果だ」と述べた。グループの対応については「自分は欠席するが、後は個々に任せる」と語り、自主投票の方針を打ち出した。

最終更新:6月2日(木)23時34分

読売新聞

 

丸山眞男と戦後日本1〜7(加筆2校正1) [状況と変動]

私自身は、吉本隆明を読んで育ってきているので、吉本が批判した丸山眞男を読んできませんでした。しかし吉本に対する根本的な疑問を持つに至って、10年近くの時間が流れました。

そしてようやく、丸山眞男について勉強してみようという気持ちになりました。

思想家の顔でいうと、吉本は《第6次元 自然領域》の凡庸な人物です。

それにたいして丸山は、《超次元》から《第6400次元》まであります。ヘーゲルやカント、ニーチェといった西欧のエリート哲学者のレベルの顔をしているのです。

吉本と丸山.jpg
《第6次元 自然領域》の顔  《超次元》〜《6400次元》の顔

吉本隆明          丸山真男



松岡正剛も、次のように書いています。
 
 ミシェル・フーコーが雑談のなかで「そういえば丸山真男という人はものすごい人だった」という感想を洩らしたのもひとつのきっかけだったが(フーコーは来日した折に丸山を訪ねていた)、ぼくが少しずつ日本の近代を考えるようになったことが大きかったのであろう。
 こうして、丸山真男を通過することはどうしても必要なことなのだと思いはじめたのである。

政治学者で東京大学教授の苅部直も『

丸山眞男 リベラリストの肖像

 (岩波新書)の中で、フーコーが

丸山眞男の

「日本政治思想史研究」に興味を持ったと書いています。


フーコーが評価したから丸山眞男がすぐれていると言うつもりはありませんが、私自身はフーコーを評価していて、影響を受けています。フーコーも多くの人から批判をあびている思想家ですが、私はすぐれている人だと考えています。


つまり私自身の興味は、思想家として吉本隆明は凡庸だった。

けれども、吉本が批判した

丸山眞男は、フーコーのような本物のエリート思想家であったのではないのか? という興味です。


丸山眞男については、吉本以外にも、多くの人々が批判を加えているのですが、それは逆であったのかもしれないと思うのです。

つまり丸山がまともな知的エリートで、丸山を批判した多くの人が凡庸であったということです。凡庸な人は、凡庸なものが好きなものです。そして凡庸なものを普遍であると信じている凡庸普遍主義者なのです。

日本は凡庸の王国ですから、多くの人にとっては、すぐれた思想家は、すぐれているが故に気に入らないのかもしれません。多くの人が丸山を憎んだからといって、多くの人の意見が凡庸であったにすぎない事で、真理として正しいというものではないのです。

吉本隆明がオウム真理教を評価したに対して、丸山眞男はオウム真理教に、日本の明治維新以来の退化的な錯誤を見ているのです。次のビデオを見てください。










【5〜7は、下記をクリックしてください】

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タグ:丸山眞男

五十嵐太郎の「S-meme」 [状況と変動]

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五十嵐太郎さんスタジオがつくった「S-meme」という雑誌をご紹介します。

せんだいスクール・オブ・デザイン(SSD)というのが始まっているのですが、その成果のひとつです。

左からめくるのと、右からめくるのとでは、違う雑誌が現れるというもの。左からは仙台関係の論文やリサーチ、「書店空間のフィールドワーク」、「架空建築家列伝」、「文化時評」、「仙台サイド」横書きで編集されています。


右からめくると縦書きの文章「ウェブの時代に紙の媒体ができること」、「SANAA小特集」「非仙台サイド」のコンテンツがよめるという雑誌。左右の頁に小さな差があるという装丁で、見た事の無い、斬新なデザインと装丁技術です。

もっと早くに紹介をするつもりが、3.11の地震と原発騒ぎで、遅れてしまいました。

下記サイトに紹介記事がありますが、配布は終わっているそうです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

紙媒体の雑誌を、フリーメディアでつくれないかということを、五十嵐太郎さんとも話し合っています。

アートスタディーズの今後のこともあって、紙媒体はつくりたいのですが、21世紀の新しいアートや建築の問題を追いかけていくような連続シンポジウムを模索しています。

ウサーマ・ビン・ラーディン容疑者殺害の真偽?(改題加筆2) [状況と変動]

ウサーマ・ビン・ラーディン殺害の真偽を疑う動画が流れています。

いつもの事だとも言えますが、ホトショップを使った画像だと言う指摘は、全く違うとも言い切れないものですが、そのビデオができすぎているので、その事自体も疑えます。
どちらにしろ、私たちには確認のしようのないものです。


 
 

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アメリカ政府によるウサーマ・ビン・ラーディン容疑者の殺害の報に接して、普通の意味での驚きは、私も持ちました。それ以上に、ビン・ラーディン殺害に10年もかかった事に驚きがあります。


テロに対してテロという形で、武装していないビン・ラーディンを問答無用に射殺したことは、犯罪に対して法で裁くというものではないのです。私自身は、アルカイダやタリバンに対しては冷たいので、ビン・ラーディンに対しても同情やシンパシィは無いのですが、ビン・ラーディン容疑者を逮捕して、9.11テロの立証をして裁判を行い、判決後に処刑という手続きをとれない所に、アメリカという軍事国家の生々しい姿が見えて、そのむき出しの権力性には鼻白むところがあります。


 国際社会ではパキスタンへの通告なく進めた作戦が国際法に違反するという指摘が消えていない。国連人権委員会は5日、違法性がないかどうかを調べるためにも「(米政府は)すべてを明らかにすべきだ」と主張する声明を発表した。

 「対テロ作戦は国際法に従って実行されるべきだ」とも強調。容疑者が武装していたと説明した後で「丸腰だった」と変えた米国に強い不信感もにじませた。

 パキスタン治安当局高官も「(容疑者らは)武装しておらず反撃していない」などと主張。「足を撃たれて意識もうろうとしている妻の目の前で容疑者を殺した」という容疑者の妻や娘の話をあげて残忍さを訴えた。

■写真は非公開 米国内からも批判

 写真の扱いを巡っては、パネッタ中央情報局(CIA)長官が3日「最終的には公表されるだろう」とし、米議会でも容疑者の死亡を確認するために公表すべきだとの声が高まっていた。それだけに、非公開の決定には「公開は米軍を危険にさらす可能性がある」と支持する声がある一方で「死んだかどうかという不要な論争を呼び起こしかねない」などの批判が続出している。

 実際、アルカイダと密接につながるイスラム原理主義のアフガニスタン反政府武装勢力タリバンは「(容疑者の)『殉教』について報告を得ていない。正式声明を出すのは時期尚早」とのコメントを発表。インターネットでは複数の偽物写真も出回っている。

 詳細説明の修正も「政府はこれまでもウソをついてきた」(映画監督のマイケル・ムーア氏)など国内の疑念を広げる。米政府が「テロとの戦いの勝利」と印象づけてきた作戦への米国内の祝福ムードは、急速にしぼみ始めた観もある。(情報出典:日本経済新聞 5月8日、2011年)


それは、しかしオバマにとっては、次回の大統領選での再選に向けての、切り札を切ったと言えます。その文脈で言えば、国家テロを発動して、どうしても殺す必要があったのでしょう。

 


アメリカ政府は、1978年のソビエトのアフガニスタン侵攻に対して、これと戦う「噛ませ犬」としてビン・ラーディンを使いました。1989年まではビン・ラーディンはアメリカ合衆国のCIAの庇護の下にあったです。



ビン・ラーディンの軍事力を育てたのはアメリカ合衆国CIAだったのです。そのCIAの飼い犬のビン・ラーディンが、飼い主に歯向かっていったというのが、アルカイダであ、9.11のテロでした。

 

よくも、アメリカを敵にまわしてビン・ラーディンは10年も逃げられたものです。ビン・ラーディンらは、パキスタン情報機関や地元住民に保護されていたのでしょう。


同時に10年かけて、一つの時代が終わったという感慨があります。
次の動画は、ビンラディン容疑者殺害に関するアラビア語の放送です。特にどうというものでもありませんが、見てみても良いとは思います。


次の動画は、ビン・ラーディン容疑者殺害の画像は、photoshopで作られた偽造画像だと言う主張のものです。これもアラビア語のもので、真偽の程は私には判断できませんが、しかし確かに疑いを持てる面もあるのです。

しかしこのビデオが良くできすぎているので、したい写真を流す事まで含めて、事前に用意された偽情報である可能性が大きくあります。




ビン・ラーディンが主導したとされている9.11という大規模なテロは、同時に決行者にとっては自爆テロであり、日本の神風特攻隊の伝統を引き継ぐものでありました。この歴史的な継続性は、偽情報というものではありません。


 

9.11に限らず、イスラムの戦いが自爆テロを多用したのは、対米戦争という困難さにおいては、日本の神風特攻隊と無縁ではなかったからです。

そして対米戦争というか、アメリカの侵略性に対する抵抗というのは、アメリカの侵略性の高さを認識すれば、無理からぬ抵抗であると理解を示す事もできるものなのです。

しかし、9.11については、陰謀説が色々と出ています。
陰謀説は、アメリカ人が大好きなものです。
真偽はともかくとして、確かに9.11のツインタワーの崩壊は、不思議なものであったとは言えます。

こうした陰謀説自体が、偽情報であることも含めて、私たちは、真偽の定かではない情報化社会を生きているのです。しかし、情報は常に真偽が明確ではなくて、その事自体は、原始社会の古い時からかわらずに続いていている事なのです。情報の表面性にとらわれずに、柔軟に真偽紙一重の中を生きる必要があります。何よりも「原発は絶対に安全である」というような非科学的な国家のつく嘘に惑わされない事です。8割の人々が信じている事柄は、多くの場合、偽情報なのです。多数者の信じることの虚偽性に敏感である事が重要だと思います。


ヨウ素含む海藻入りスープの名に「フクシマ」ロシア極東の食堂 [状況と変動]

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ヨウ素含む海藻入りスープの名に「フクシマ」 

ロシア極東の食堂

2011.4.27 19:54

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ウラジオストクの食堂に登場した「フクシマ」と名付けられた
ヨウ素を含む海藻入りのスープ=27日(共同)



 ロシア極東ウラジオストクの食堂で、3月の東京電力福島第1原発事故後に、「フクシマ」と名付けられたヨウ素を含む海藻入りのスープが登場。地元メディアが相次いで報じるなど話題を呼んでいる。


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 スープ「フクシマ」は同食堂で数種類あるスープのうちの一つで、1杯42ルーブル(約124円)。海藻のほか、ニンジン、ジャガイモ、卵黄などの具材が塩や酢で味付けされている。

 同食堂の女性店長マリーナ・スミルノワさんは27日、「原発事故が起きて海藻を食べたい人が増えると思い、メニューに加えたが、中身はロシアの伝統的スープ。


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気に入る人もいれば、気に入らない人もいる」と話しつつも、「フクシマ」命名の理由など詳細についてはコメントを拒否した。(共同)

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<福島第1原発>苦渋の90人放置という悪評と、それはデマであるという反転(記事追加1) [状況と変動]

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東日本大震災は悲惨な結果を数多く生みましたが、その中でも、病人の放置による見殺しという事件は、心に残るものです。


弱いもの、衰弱したものから死んでいくというのは自然の摂理です。その厳しい淘汰の原理が出現する時に、取る行動で人間が計られるのです。


病人90人を放置せざるを得なかったにしろ、その時、責任者の院長だけは残るべきであったと私は思います。病人90人を放置して、健常者が誰もいないというのは、筋が通りません。


責任を取るという当たり前の決断を出来なくなった下劣な社会が日本の戦後社会でしたから、この院長だけを責めるのは酷です。が、しかし、当たり前に、院長は病人90人と残るべきであったと私は思います。


船が沈む時に、船長は、船とともに沈むべきなのです。


もちろん、反対の決断もあります。船長が一番先に船を離脱して生き残って、多くの若い船員が死ぬという事です。それもまた君主の道であるというマキャベリズム的なリアリズムも好きですが、そうであるにしたら、船と共に死んでいく若い船員が必要なのです。

病院長が逃げた後に、90人の病人と共に残るうら若い一人の看護人が欲しかったと思います。センチメンタルな韓流ドラマの見過ぎかもしれませんが、そうでもしなければテレビドラマにはなりません。

というわけで、ツイッターが登場です。院長不在というのは、マスコミの作った悪評で、実際には院長は患者のそばにいたという訂正記事が出て来ているというのです。つまり現実は、責任感のある院長が頑張っていたという風に、反転したのです。

そのきっかけがツイッターであるというのも、今日的です。

実際はメロドラマのような分かりやすい展開ではなくて、複雑なものであったのです。しかし、よく調べもせずに、第一印象で人間の判断力は、奇妙に倫理的基準から過剰に批判的な判断に陥りやすいのです。それが《第1次元 社会的理性領域》というものの性格であります。マスコミに限らず、私たちはこのような判断性を強く持っているものなのです。


<福島第1原発>苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院

毎日新聞 4月26日(火)2時35分配信

<福島第1原発>苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院
父久吾さんの遺影を手に、「なぜ父の遺体が病院に放置されたのか、真相を知りたい」と話す佐藤和彦さん(左)と家族=東京都江戸川区で2011年4月23日、茶谷亮撮影
 東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】

 ◇バスで6時間

 県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。

 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。

 14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。

 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。

 いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。

 体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。

 ◇3日間絶食

 鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。

 一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。

 陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。

 ◇冷え切る体

 いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。

 4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。

 ◇みとられず

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。

 父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。

 ◇対策の想定外

 国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。

 だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

 双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。


福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり)

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松永英明 プロフィール

福島県大熊町の「双葉病院」で、医師・看護師が患者を見捨てて逃げていた、という報道がなされていたが、実際には現場の状況は大きく異なることがわかった。これは、病院関係者の家族によるツイートもあり、また後発の報道でも(見出しは悪意あるものの)内容的には「患者を置き去りにして職員だけが逃げた」というような悪評を完全に否定するものとなっている。
 
現地での直接取材はかなわないが、当事者のツイートなどを「
Togetter - 「福島・双葉病院「患者置き去り」報道に関する情報」」にもまとめてみた。若い人なので表現が至らないところもあるようだが、その趣旨を酌んで以下、簡潔に状況をまとめてみたい。

少なくともマスメディアは名誉回復を全力で行なうべきだと思う。

「避難時に院長いた」=福島県が訂正発表

 福島県は17日夜、福島第1原発の事故で避難指示が出た双葉病院(福島県大熊町)で高齢者らが避難する際、医師や病院関係者らがいなかったと同日発表したことについて、自衛隊の救出時には院長がいたと訂正した。
 県によると、同病院は原発から10キロ圏内にあり、自衛隊が14日から15日にかけ3回に分けて高齢者を救出。院長は1回目の救出時に立ち会っていたという。
 院長は県に対し、救援を求めるため病院の外に出たが、原発で事故が相次ぎ、戻るのを断念したと説明。他の病院スタッフも途中からいなくなったという。(2011/03/18-01:18)



このような状況の中、最初の報道をそのまま受けて双葉病院の職員が逃げたかのように思ったままの人も少なくないと思われるので、簡潔にまとめておきたい。

双葉病院で起こったことのタイムライン


以上、報道ならびに関係者のツイートに基づくまとめにすぎないことはご了承いただきたい。(@supergirl5jrhさんの追加ツイートに基づき15:50追加・修正あり)
  • 2011年3月11日14時46分:大地震発生。
    • 福島県大熊町・双葉町にある福島第一原発が緊急停止。
    • 福島県大熊町の双葉病院と介護老人保健施設ドーヴィル双葉で患者・職員が孤立。福島第一原発から約3キロ離れている。
  • 3月12日5時44分:福島第一原発の避難指示の区域を、これまでの半径10キロメートルに拡大。双葉病院・ドーヴィル双葉が避難区域に含まれることとなった。
    • 午前:大熊町役場まで双葉病院スタッフが患者を搬送したが10分後には双葉病院に戻された(理由は不明)。
    • 昼休み:外出した双葉病院スタッフが、防護服を着た誘導者に対して「なぜ双葉病院は誘導しないのか」ときいたところ、「いやもう誘導したはずです」と回答。そこで初めて双葉病院の患者が避難していないことが判明した。そこで急遽バスが派遣されることとなった。
    • 14時すぎ:大熊町役場が福島交通の大型バス5台を派遣したが、患者・搬送者・護送者を乗せることができなかった。また、救援に来たバスは普通の大型バスであったため、車いすや寝たきりの患者は搬送できなかった。
    • 15時36分:福島第一原発第1号機で水素爆発。残された人たちは被爆した。
  • 3月14日昼前:自衛隊が同病院への救助に到着。患者・施設入所者130人を救出。その他、自力で脱出した人もいた。患者98人と院長ら職員4名、警察官が残り、自衛隊が再び救援に来るのを待つ。
    • 二度目に自衛隊が来るという時間になっても来なかった。
  • 3月15日午前1時ごろ:一緒に残っていた警察官から避難するよう求められ、院長ら職員4人は患者を置いて、警察官とともに隣の川内村に避難した。そこで合流した自衛隊と共に病院に向かおうとしたが、避難指示の対象地域のため、自衛隊だけで向かうことになった。院長は「日付が変わり、警察官から避難を求められた。どうすることもできなかった」と述べている。
    • 午前7時:中野寛成国家公安委員長は15日の閣議後会見で、午前7時現在「(退避指示が出されている)20キロ圏内では、15日午前7時現在で、病院にいる96人を除いてほとんど完了している」と述べた。 防衛省によると、陸上自衛隊が陸路で96人をいわき市の避難所に移送する予定。(人数が食い違っているが報道ママ)
    • 午前から午後:自衛隊が残された患者を搬送(第2回・第3回)。この際「病院関係者の付き添いはなかった」と福島県が発表し、「患者を見捨てて置き去りにして逃げた」という趣旨の報道が流れる原因となる(各報道機関横並びで福島県発表のみを報道)。搬送中・搬送後に計21人の患者が亡くなった。
  • 3月17日:双葉病院主任が父だという@supergirl5jrhさんがツイッターで報道に反論するツイートを開始。夜、福島県が「避難時に院長いた」と訂正発表。
  • 3月18日:院長への取材内容が報道され始める。
(報道の数字が混乱していて、合計数がなかなか合わないが、これらは追って整理されるものと思う)

以上の流れをもう少し簡単にまとめると、「自衛隊が来るが、寝たきりや車いすの患者が搬送できず、一旦戻る」→「2度目の救援が来ない」→「一緒に残っていた警察の指示で職員が川内村に避難」→「自衛隊と一緒に病院に戻ろうとする」→「避難地域なので一緒に行けない」→「自衛隊だけが救援に」→「2・3回目の搬送の際、病院関係者は誰も現場に居なかった」→「職員が患者置き去りで逃げたと報道」という流れになる。

これでは「職員が患者を見捨てて逃げた」とは絶対に言えない(警察の指示でやむなく避難させられたのであって、再び)。こんな報道をされたら、一生懸命がんばっていた職員に対する名誉毀損にしかならないと思う。

このような報道被害が繰り返されないよう強く願う。

3/19追記


まず注記。「双葉町の双葉厚生病院」と、今回の舞台である「大熊町の双葉病院」は別の病院である。

次いで本題。以下のような情報がツイッターで寄せられている。

都内某病院から双葉病院の患者を一部受け入れた旨の連絡を受けました。処方箋も届いていることは確認しましたので、放棄して逃げたという情報は疑問があります。亡くなった方が出たので、感情的な意見が流れたのでしょう。
双葉病院の誤報。実際福島からのうちに転院してき患者さんは「突然自衛隊が来て職員と引き離された」「なんの説明もなく連れてこられた」という人がいる。混乱の最中誰にも悪意はない。誤報以外は
患者さんが「突然自衛隊が来て職員と引き離された」「なんの説明もなく連れてこられた」と証言しているのは、病院職員が「見捨てて逃げた」という報道のニュアンスとはまるでかけ離れていることがわかる。

今回の件は現地の混乱の中で起こった悲しい行き違いであると思うが、そこで双葉病院の職員をスケープゴートにして怒りをぶつける形になっている報道姿勢には強く異議を唱えたい。NHKの報道でも、福島県側の主張のみに偏り、院長には電話で話を聞いてその一部だけを強調する内容であったと考える。

現在の困難な状況の中で、事実とかけ離れた内容によってスケープゴートを生み出すような報道は謹んでほしいと心から思う。そして、真実が明らかになり、名誉回復が行なわれることを強く希望する。

3/20追記


搬送中と搬送後合わせて21人の患者さんが亡くなったのは非常に悲しいことである。しかし、それを双葉病院の医師たちが最終段階で患者から離れていたからという理由付けをして双葉病院関係者を叩くのは絶対に間違っている。

というのも、11日の地震発生後、翌12日に大熊町役場からの大型バス派遣があり、地震発生からまる3日経った14日に自衛隊の最初の救援があった。この時点まで病院関係者4人はその場にいたが、精神的な障害を抱えた患者を多数含む約100人の患者をまる3日間、少ない人数の職員が必死で支えてきたのである。設備や物資も万全ではない中、そこから搬送される途中や搬送後に亡くなる患者さんが出たのは、もはや誰にもどうしようのないことだったはずだ。特に食料や、輸液等の不足があったのではないかとも推測できる。実際、他の避難所でも、避難後に亡くなっている方は少なくない。

繰り返す。精神的障碍者を含む約100人の患者を、まる3日以上、数少ない職員と乏しい物資という極めて厳しい環境の中で支えてきた。1度目の自衛隊救援後、二度目がなかなかこない中でいったんは警察官の指示で避難したが、また自衛隊と一緒に現場に戻ろうとしてそれを阻まれた。双葉病院のスタッフは最善を尽くしてなおあまりある行動を取っている。それを「患者を放置して逃げた、許せない」と非難するのは、人間として間違っていると私は強く思う。

双葉病院院長は取材に答えて、患者を残して避難したのは事実、と述べているが、それは医療関係者としての誠実さから、自省的に述べたものであると判断する。医療従事者として最後まで付き添えなかった無念さを述べているのである。そのように語ること自体、医療従事者としての誠意であると信じる。したがって、その言葉尻を捉えて「やっぱり逃げたんじゃないか」と責めるようなことは、人として決して行なうべきではない非人道的発言であると固く信ずるものである。

 


「島の言い伝え、命救った」 [状況と変動]

「島の言い伝え、命救った」=1142年前の大津波—石碑建て継承・宮城

時事通信 4月23日(土)5時31分配信


私=彦坂尚嘉は歴史を学ぶ事を重視してきています。自分自身はあるタイプの歴史家だと思っています。過去の記憶は極めて重要であって、これが私たちの命を守るのです。人間は無知無能であれば、死にやすいのです。教養をつけて行く事の重要性は、直接的な生命の問題でも

あります。

 両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった—。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。
 ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。
 複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。
 今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。
 高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。 

艾未未(アイ・ウェイウェイ)のためのワンクリックを! [状況と変動]

出口綾子さんからのメールの拡散です。


450px-Ai_Weiwei.jpg
艾未未(アイ・ウェイウェイ)




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

世界的に有名な中国の芸術家、艾未未(アイ・ウェイウェイ)さん
が北京空港で拘束されたのは4月3日。彼のアトリエのデザイナーな
ど数名も、ともに拘束され行方がわかっていません。

北京オリンピックのスタジアム「鳥の巣」は見たことがある人も多
いでしょう、艾さんはこのスタジアムの共同設計者でもあります。

今回、なぜ芸術家の艾さんが拘束されてしまったのか?

艾さんは、2010年のノーベル平和賞受賞者であり、良心の囚人でも
ある劉暁波さんの支援をしていました。また、四川大地震において
校舎の倒壊に関する調査をしていた環境活動家、譚作人さんが逮捕
されたとき、彼の裁判に出廷しようとしましたが、当局によって阻
まれました。また、艾さんは犠牲になった子どもたちの名前と誕生
日をずっとツイートしていました。

このように彼は、単に芸術家であるだけでなく、中国の社会問題に
強い関心を持ち、自身の作品にもそれを反映してきました。

当局は艾さんを経済犯罪の容疑で取調べを行っていると発表しまし
たが、実際には彼の政治に関わる活動が、拘束された原因だと考え
られます。

チュニジアなどで発生した抗議行動に触発され、中国でも「ジャス
ミン革命」が呼びかけられました。それ以来、人権活動家や弁護士、
ブロガーなど、政府を批判する人びとが100人以上拘束されていま
す。

中国政府は、中国では表現の自由、言論の自由は許されないのだ、
と言っているかのごとく、取り締まりを強化しています。

現在、「艾未未」という言葉は中国ではネット検閲の対象になって
しまいました。しかし、彼の名前をもじって「愛未来(Love the
Future)」というスローガンが生まれました。「愛艾未未(Love Ai
Weiwei)」というサイトでは署名活動やニュースがまとめられて
います。

一刻もはやく、アイ・ウェイウェイに自由を!

▼ワン・クリック・アクションに参加してください。
芸術家に自由を!艾未未(アイ・ウェイウェイ)さんの釈放を求め
るアクション
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3837&mm=1


□■□ ワン・クリック・アクション ━━━━━━━━━━━━━

現在、アムネスティでは下記のウェブアクションを展開しています。
あなたのメールが、世界の国々の人権状況を改善し、問題の解決に
つながります。アムネスティのウェブサイトから、各国政府や機関
にメールを送ってください!
ワン・クリックが集まれば救われる人たちがいます。

▽艾未未(アイ・ウェイウェイ)の釈放を求めるアクション
─中国緊急アクション
https://www.amnesty.or.jp/modules/bmsurvey/survey.php?name=webaction_china_201104&mm=1

▽私たちの声を聞いてください!─ニカラグア・アクション
https://www.amnesty.or.jp/modules/bmsurvey/survey.php?name=webpetition_nicaragua2011&mm=1

▽すべてのアクションを見るには
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1578&mm=1
-- 
出口綾子


タグ:艾未未

東京大地震の危険の増大か? [状況と変動]

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気象庁の地震活動の記録を見ると、
3月11日以降、驚くほど増加しています。


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詳しくは、下記の気象庁サイトをご覧下さい。
浜さんからの情報の拡散です。

http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/daily_map/tokyo/20110301.shtml
(3月1日のデータから順に「翌日」を見ていくと,3月9日あたりで異常な変化があるのが,誰の目にも明らかでしょう)

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