丸山眞男と戦後日本1〜7(加筆2校正1) [状況と変動]
私自身は、吉本隆明を読んで育ってきているので、吉本が批判した丸山眞男を読んできませんでした。しかし吉本に対する根本的な疑問を持つに至って、10年近くの時間が流れました。
そしてようやく、丸山眞男について勉強してみようという気持ちになりました。
思想家の顔でいうと、吉本は《第6次元 自然領域》の凡庸な人物です。
それにたいして丸山は、《超次元》から《第6400次元》まであります。ヘーゲルやカント、ニーチェといった西欧のエリート哲学者のレベルの顔をしているのです。
松岡正剛も、次のように書いています。
ミシェル・フーコーが雑談のなかで「そういえば丸山真男という人はものすごい人だった」という感想を洩らしたのもひとつのきっかけだったが(フーコーは来日した折に丸山を訪ねていた)、ぼくが少しずつ日本の近代を考えるようになったことが大きかったのであろう。
こうして、丸山真男を通過することはどうしても必要なことなのだと思いはじめたのである。
こうして、丸山真男を通過することはどうしても必要なことなのだと思いはじめたのである。
政治学者で東京大学教授の苅部直も『丸山眞男 リベラリストの肖像
』 (岩波新書)の中で、フーコーが
丸山眞男の
「日本政治思想史研究」に興味を持ったと書いています。
丸山眞男 リベラリストの肖像
(岩波新書)の中で、フーコーが
丸山眞男の
丸山眞男の
フーコーが評価したから丸山眞男がすぐれていると言うつもりはありませんが、私自身はフーコーを評価していて、影響を受けています。フーコーも多くの人から批判をあびている思想家ですが、私はすぐれている人だと考えています。
つまり私自身の興味は、思想家として吉本隆明は凡庸だった。
けれども、吉本が批判した
丸山眞男は、フーコーのような本物のエリート思想家であったのではないのか? という興味です。
けれども、吉本が批判した
丸山眞男は、フーコーのような本物のエリート思想家であったのではないのか? という興味です。
丸山眞男は、フーコーのような本物のエリート思想家であったのではないのか? という興味です。
丸山眞男は、フーコーのような本物のエリート思想家であったのではないのか? という興味です。
丸山眞男は、フーコーのような本物のエリート思想家であったのではないのか? という興味です。
丸山眞男については、吉本以外にも、多くの人々が批判を加えているのですが、それは逆であったのかもしれないと思うのです。
つまり丸山がまともな知的エリートで、丸山を批判した多くの人が凡庸であったということです。凡庸な人は、凡庸なものが好きなものです。そして凡庸なものを普遍であると信じている凡庸普遍主義者なのです。
日本は凡庸の王国ですから、多くの人にとっては、すぐれた思想家は、すぐれているが故に気に入らないのかもしれません。多くの人が丸山を憎んだからといって、多くの人の意見が凡庸であったにすぎない事で、真理として正しいというものではないのです。
吉本隆明がオウム真理教を評価したに対して、丸山眞男はオウム真理教に、日本の明治維新以来の退化的な錯誤を見ているのです。次のビデオを見てください。
【5〜7は、下記をクリックしてください】
タグ:丸山眞男
2011-05-22 03:53
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コメント(1)
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大変見ごたえがありました!ありがとうございます。
by 丈 (2011-06-08 13:03)