図と地の関係/光琳と宗達 [アート論]
草稿1
この原稿は、少なくとも3回の書き直しと加筆で仕上げますので、これは草稿の1です。
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光琳と宗達の絵画を比較してみます。
まず、2つの画像を、明度をマイナス100までに暗くしてみます。
モノクロにして、並べてみます。
宗達の画面の地の部分と、光琳の地の部分が、少し違う事がお分かりでしょうか。
宗達の地の金地部分は、向こう側から光が来るように自覚して作られています。
今度は、コントラストを61に上げてみます。
これ以上に上げると画像が壊れて別のものになるので、最高値という意味です。
これもモノクロにしてみます。
二つを並べてみます。
金地に対して、左上の木と、ダンスしている集団は、明度が暗くて、金地にたいして対比的です。
右側にいる白い人物は、金地に対して明度差が少なくなっています。
右隅の太鼓も、金地に対してシルエットにはなっていません。
つまりダンスをしている人々が金地に対してシルエットになっているわけで、まるで音楽に合わせて出現した幻の踊る人々のように見えます。
この宗達の絵画は、いわゆるリアリズム絵画ではありません。金地の上に、図を持ってきて、その配置と重層化だけで、芸術を組み立てるという、ある種の抽象美術のような多層構造的な芸術なのです。つまり金地に対して3層の構造をつくることで成立している絵画です。そうすることによって金地の深さと、その光の照射を見る人に浴びせかけます。それは仏の光であり、救済の光なのです。
宗達の装飾性というのは、普通の装飾というもの、つまり支配者階級の権威の誇示や、人生の暗い面を覆い隠すものとしての装飾であるのではなくて、下層の被支配者の人々の救済としての仏の慈悲としての装飾です。救済としての装飾という主張を持つ絵画は、希有なものであると、私は思います。
しかし民衆の救済としての宗達の芸術は、結果としては民衆には到達しなかったのです。
宗達を尊敬し、愛した光琳は、宗達の絵画をデザインに落としたのです。
日本人の多くは、デザインでしかない光琳を尊敬し、愛したのです。つまし下層の民衆を救済したのは、デザインであったのです。デザインこそが、下層民衆を救うのだという思想は、実は社会主義的なものです。実際に、ソビエトのプロレタリア美術や社会主義リアリズムの作品は、グリンバーグが言うようにキッチュでありました。光琳もまたキッチュなのです。
支配者層と、非支配者層という2種類がいます。
この区分と完全に重なるわけではありませんが、
単細胞の人間と、複雑細胞の人間の2種類がいます。
この2種類の人間によって、外部世界の見方が違います。
外部世界を
2011-05-29 08:33
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草稿ということなので、最終稿がでてからと思っていたのですが、お忙しそうなのでとりあえずお礼をしておきます。リクエストにお答えいただき、有難うございました。大変示唆に富むお話で、参考になりました。私もフォトショップはよく使っていますので、自分でも興味のある作品に応用してみようと思います。
by 瀬越義満 (2011-06-04 11:29)