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壁画と塔/福島県南相馬の被災者用仮設住宅 [建築系美術ラジオ]

和歌の塔.jpg





私としては、五十嵐さんの『記憶に残る仮設住宅』という塔を作るプロジェクトに、思想的に共感しています。

そこで提案したのは、私の57577の和歌や俳句の詩形を使ったウッドペインティングです。ミニマルアートの和風版とも言うべきものですが、同時にストライプの美術の和風的展開です。

五十嵐さんの塔は、檜の角材を積みあげた構造ですが、これを57577に塗りわけてみたいのです。

和歌の塔にして、当時に被災者に和歌や俳句を詠んでもらって、これらを集めて出版をする。出版に関しては、地元の新聞社の協力が必要でしょう。その本の口絵に五十嵐さんと私の集会場と塔の建築と壁画を掲載する。

3/11の記憶を和歌や俳句にして残すことを建築としてつくる。

五十嵐さんの心象風景として記憶に残る仮設住宅というコンセプトを、文字どうりに実現して本を出版し、さらに英訳して海外出版する。

和歌や俳句は、英訳されていて、短詩形として評価が高いものです。しかも世界的に有名になつたFUKUSIMAの和歌と俳句です。

3.11の地震/津波、そして原発事故の被害を受けた苦しみを和歌や俳句で表現して、それをこの災難の記憶として後世に残して行く。苦しみを受けるという受苦というものの中には、聖なるものが宿るのです。人間が生きるという事は大変な事で、その苦しみの中で、人間は聖なるものに出会い、そして人格を磨き成熟して行くのです。そのような記憶を、モニュメントとして屹立させる。その助けになるような壁画制作ができればと思います。

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五十嵐太郎さんが、福島県の仮設住宅を木造のログハウスの設計に関わっていて、そこに作る集会施設の木造建築に絵を描かないかという提案を、彦坂尚嘉にしてくださいました。

差出人 igarashitaro

件名 仮設構築物の壁画

日時 2011610 7:58:03:JST

宛先 hiko


彦坂尚嘉様


いま南相馬市で、
仮設住宅地につくる集会施設の基本設計を
うちの研究室でやっています。

下記のコンセプト文のように、
仮設の暮らしを終えても、
記憶が残るような塔状の構築物を提案しているのですが、
一種の壁画があったらよいのでは、
と考えています。

下記の構築物は木造です。

ウッドペインティング的になるかどうか
わかりませんが、
彦坂さん、
ご興味があるでしょうか。

完成は8月のスケジュールです。

五十嵐太郎



場所は福島県の南相馬市です。ですので、五十嵐さんは、次のようにも心配してくださっています。


彦坂尚嘉様

ご存知のように、
今回の敷地となる
南相馬市は東京よりも原発に近いので、
もしそのことを気にされていて、
制作を躊躇されるのであれば、
早めにいってください。

こちらも次善の策をたてることができます。

原発から離れろ、
という主張は理解していますので、
やらないというのも、筋が通っていると思います。

ただ、
ひっぱって結局やらないことになると、
こちらも次善の策がたてられないまま、
たんに壁画のない建築に終わってしまうので、
なるべく
そうした事態は避けたいと考えています。

五十嵐

 私のメールの返事が、1日遅れたので、心配をかけたのですが、東京ー京都を往復するのにエネルギーをとられて、メールを見るのが遅れたのです。確かに地理的には南相馬市は、福島原発のすぐ隣で、放射線量も東京よりは多い所ですが、私自身は、この企画に魅力を感じて参加させていただく事にしました。数値で言うと,東京で0.15マイクロシーベルト/時出に対して,南相馬市は、だいたい3倍から4倍の放射線量があります。
 人はいろいろと誤解するでしょうが、東京電力の失策による原発事故からの疎開の行動と、仕事や使命感をもって原発事故近くの建設に参加する事は、別の事です。事故に対して退避する時は退避し、参加する時には参加する。多くの人は、こうした冷静な判断と早い退避を理解できないのです。そもそも多くの人は、素早く理解し、速く移動する事ができないものなのです。それは生物学的な保守性に縛られています。



次にご紹介するのは、その最初の企画書です。内容的には動いてきているようですので、最終案ではありませんが、五十嵐太郎さんの「記憶に残る仮設住宅」という最初の設定は、すぐれたもので、胸を打つものがあります。

●仮設建築プロジェクト メモ              五十嵐太郎 2011.6.07

 

ほとんど水平に展開する、南相馬市の仮設住宅地。

まわりも農家と新興住宅地が続き、平坦な風景が広がっている。

そこには垂直の要素が欲しい。

 

きっと、それはいつか仮設住宅地を離れて暮らすようになったときでも、

記憶のなかに残る心象風景となるだろう。

おそらく、それはログハウスのエリアのためだけの存在ではなく、

隣のブロックの仮設住宅地からも見えるはずだ。

もしかすると、川の向こうの均質な仮設住宅地からも

角度によって異なるかたちに見えるかもしれない。

 

ここだけの仮設構築物ではない。

 

 

仮設構築物には、

持ち運びができるベンチが建築的に組み込まれている。

 

居住者はそのベンチを外し、好きな場所で使うことができる。

仮設住宅地のあいだのストリートや川沿いで、

語らいの場が生まれる。

隣の仮設住宅地にもっていってもよい。

 

仮設構築物がそこの場所だけで機能するのではなく、

ほかの場所にも介入できる装置として、

家具と一体化した建築になる。

 


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symplexus

●塔,壁画,大震災の歌集,どのプランも気迫のこもったもので
すばらしいものだと思います.赤,黒,グレーのストライプは
和歌のメタファーではあると同時に,凛然としたたたずまいが
受苦の大きさと,それを受け止める英雄的努力が一種の高貴な
輝きで天空を穿っているようです.地面にはいつくばるような
単調な並列を退けようとする五十嵐氏の発想も,仮設住宅の
非人間性をなんとか和らげようとする建築家の良心がこめられて
いて,非条理な苦しみをを受けている無名の人々への尊敬と
愛着がこちらにまで伝わってくるようです.
●今回の和歌,俳句の発想も平凡なようで,実は現代文学
の閉塞をブレイク・スルーする重大な問題提起をはらんでいるのでは
ないでしょうか.僕の尊敬するホルへ・ルイス・ボルヘスは小説が
完全に袋小路に入ってしまったとして,物語ることの原点である
三つの物語;トロイの物語,ユリシーズの物語,そしてイエスの物語
から説き起こして叙事詩の可能性,重要性を強調しました.
「ある物語を語ることと詩で歌うことが仮にふたたび一つのものになった
としたら,きわめて重大なことが起こる可能性があるのです」”ボルヘス,
文学を語る”鼓 直訳,岩波書店,2002,p73.この部分に線を引き,
マーカーで塗り,僕は何度も読み直してきました.
●一つの気がかりは言うまでも無いことですが,建設予定地の放射線
量です.1μSv/h 前後の汚染地域のことですが,原発から60km
離れた福島市,郡山市等でも多数の測定点が空間線量は1μSv/h
に達しています.地表線量となると排水溝や雨水の留りやすい場所
ではこれより数倍高い値となるでしょう.つまり南相馬だけではなく
南相馬近隣全域がもはや同様の危機状態にある.逃げ場所が無い
といったらよいのでしょうか.とすればより汚染の低い場所を求めて
彷徨うのではなく,そこで居をかまえるための現実的対応が必要と
なっているということでしょう.ちょうど多くの校庭でやっているように
表土を削り,土砂で被覆するなどして生きる場所を確保する,これが
悲しいことですが現実ということです.
●僕の工房が位置する山梨県甲斐市の山林でも,雨水が溜まり塵の
集積しやすいような場所では地表の放射線量は平均より高いように
みえます.測定した線量計が安物のため公表は控えていますが,
FUKUSHIMAの恐怖が全国各地に飛び火していくようで慄然とします.
この時代をどう生きるのか,逃げようもないこの問題に真摯に向き合った
記録としても,今回のプランが現実のものとなりますよう心から願っています.
by symplexus (2011-07-02 16:20) 

ヒコジイ

symplexus様
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
福島原発の事故そのものは、第一号機がメルトスルーしてしまっているので、100トンの核燃料が数千度の温度で地中に入ってしまっていて、放射能が地下水を通って外部に出ていると言われています。海洋汚染も、今後深刻化するという見通しです。放置すれば、地球の海は死の海になります。東電は、この事態を知っているにもかかわらず、沈黙したままです。

地球の死というのは、何回か突きつけられてきた情報ですが、今回のものは、十分に報道されていない事も含めて深刻であると思います。

こういう絶望的な状況であるからこそ、確信をもって美術作品を創る必要があると思っています。
by ヒコジイ (2011-07-05 14:53) 

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